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■小中学生生存率99.8% 岩手県釜石市の話


ここ最近、ちょっとばたばたしていまして、、、
ぜんぜんアップできず申しわけありません(*ノノ)


どうしても読んでいただきたい物を見つけたので、
ご紹介します(・∀・)

新幹線の座席に置いてあるWEDGE

↓↓↓

2201



WEDGE 2011年5月号
「想定外」を生き抜く力


岩手県のある町では、小中学生のほぼ全員が津波から助かりました。


地震1波直後、子供たちひとりひとりが、自分で考えて行動。

小学6年生のお兄ちゃんは、「逃げようよ」と言う小学2年生の弟をなだめ、自宅3階へ避難し兄弟とも津波から助かった。

津波から逃れることができる高台目指して走っていた中学生たちは、
幼稚園の子供たちが乗るベビーカーを押して駆け上がり、間一髪で全員助かった。


学校の防災訓練の効果だったんだそうです。

☆4ページもあるのでところどころはしょります。全文はリンク先を参照してください(・∀・)



小中学生の生存率99.8%は奇跡じゃない
「想定外」を生き抜く力
2011.4.22 片田敏孝
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/1312

岩手県釜石市で防災教育に携わって8年。

「どんな津波が襲ってきてもできることがある。それは逃げることだ」と教えてきた。

中学生には「君たちは守られる側ではなく、守る側だ。自分より弱い立場にある小学生や高齢者を連れて逃げるんだ」と話していた。

今回の震災では、多くの中学生が教えを実践してくれた。

*

中学生の少女。彼女は、自宅で地震に遭遇した。

地震の第一波をやり過ごした後、急いで自宅の裏に住む高齢者の家に向かった。そのおばあさんを連れて逃げることは、自分の役割だと考えてくれたからだ。

逃げる準備をするおばあさんを待っているとき、地震の第二波が襲ってきた。彼女は、箪笥の下敷きになり命を落とした。


病気で学校を休んでいた子やこの少女を含めて、釜石市では残念ながら5人の小中学生が亡くなった。

それでも、命を落とした少女を含めて、一人ひとりが「逃げる」ことを実践し、小学生1927人、中学生999人の命が助かり、生存率は99.8%だった。


死者が出た時点で、私たちがやってきた防災教育は成功したと胸を張ることはできない。だから、私は彼女ら死者の声に耳を傾け続ける。

防災学は、人の命を救う実学だからだ。彼女らの声を聞くことで、別の命を救うことができる。

*

釜石市の鵜住居地区にある釜石東中学校。

地震が起きると、壊れてしまった校内放送など聞かずとも、生徒たちは自主的に校庭を駆け抜け、「津波が来るぞ」と叫びながら避難所に指定されていた「ございしょの里」まで移動。
(図参照)

2202


一緒に避難する訓練を重ねていた、隣の鵜住居小学校の小学生たちも後に続いた。


ところが、避難場所の裏手の崖が崩れそうになっていたため、男子生徒がさらに高台へ移ることを提案し、避難。


来た道を振り向くと、津波によって空には、もうもうと土煙が立っていた。


幼稚園から逃げてきた幼児たちと遭遇し、ある者は小学生の手を引き、ある者は幼児が乗るベビーカーを押して走った。間もなく、ございしょの里は波にさらわれた。間一髪で高台にたどり着いて事なきを得た。


地震発生の瞬間はほとんどの児童が学校外にいた。
だが、児童全員が津波から生き残ることができた。


小学1年生の男児は、地震発生時に自宅にひとりだったが、学校で教えられていた通り、避難所まで自力で避難した。


小学6年生の男児は、弟と2人で自宅にいた。
「逃げようよ」という弟をなだめ、自宅の3階まで上り難を逃れた。6年生の兄は授業で見たVTRを思い出したからだ。

既に自宅周辺は数十センチの水量で、大人でも歩行が困難になっており、自分たちではとても無理だと判断した。自分たちの身を自ら守ったのである。


*

三陸地方の町には、津波に対する人々の恐れが形となっていた。


江戸時代の記録でも、津波の襲来は何度も現れる。

明治三陸大津波(明治29年)
死者約2万2000人。

昭和三陸大津波(昭和8年)も多くの死者を出し、


昭和35年にはチリ地震津波に襲われた。

それでも、自衛策をとりながら人々は三陸に住み続けた。


釜石市は、海底63m、水面上6m、幅が北に990m南に670mの防波堤を完成させた。

宮古市田老町にも、日本一の防潮堤が造られた。


だが、今回の津波はそれをも乗り越え、まさに想定外の津波。

今まで造ったものが無駄だったわけではないが、津波の浸入を食い止めることはできなかった。とはいえ、これまで以上の堤防を造ることは財政的に難しいし、海との関わりの深い生活を送ってきた住民は、海から隔絶される生活を望まないだろう。


だからこそ、ハードを進化させるのではなく、災害という不測の事態に住民がいかに対処するかというソフト、「社会対応力」の強化が必要になる。これが、私のやってきた防災教育だ。


*

2003年、三陸地方の住民の防災意識を調査。

津波警報が発令→「到来した津波は数十センチ」の繰り返しに慣れてしまい、

「本当に津波が来たときには、指示された避難所に行けばよい」と思う人が多くなり、

「それでも、堤防があるから大丈夫」という油断が生まれていた。


私は、三陸地方の自治体に、防災教育に取り組むよう打診。釜石市が手を挙げてくれた。


三陸地方には100年程度の周期で津波が定期的に来襲する。


明治三陸大津波では、釜石町の人口6529人のうち、4041人が犠牲となっており、同じような事態はいつでも起きうるのだが、ここ最近は津波警報が発令されても市民の避難は低調で、釜石市は危機感を強めていた。


社会人教育を行おうと、講演会を開催。



来場するのは防災意識の高い、ごく一部の市民のみ。


その他大勢の無関心層に訴えるため、私は学校教育を糸口にできないかと考えた。

市内のとある小学校を訪ね、防災教育の実施を提案したが、反応は冷ややかだった。

英語授業や総合学習への対応に忙殺されて余裕がない、というのが理由だった。また、津波とは関係のない内陸部出身の先生が多かったこともあり、危機感が薄かった。


そこで当時の釜石市教育長に直接相談した。教育長は地元の出身であり、昭和三陸大津波の被害を実際に経験していたことから、防災教育の必要性を理解してくれた。


津波は子供達の一生のうちにほぼ必ず襲来するという事実。

自分の命を守ることが何にも増して重要なことと感じ取ってくれた多くの教員が、呼びかけに応じてくれ、先生方との連携で防災教育のテキスト開発と授業研究が各校で始まった。


*

津波防災教育が始まり最初に行った、子どもへのアンケート。



質問
「家に1人でいるとき大きな地震が発生しました。あなたならどうしますか?」

多かった回答
「お母さんに電話する」
「親が帰って来るまで家で待つ」


大人たちは、行政や防災インフラに頼ることで、前述したように油断していた。親の意識が変わらなければ、いくら学校で子どもに教えても効果は半減する。だから、「わが子のためなら」という親心に訴えた。


親子で参加する防災マップ作りや、避難訓練の実施に繋がった。


今回の津波で、釜石市内の小中学生の親で亡くなった人の数は31人(4月5日現在)と、釜石市全体で亡くなった人の割合と比較しても少ない数が報告されている。
親の意識改革は、子どもへの教育浸透を助けるだけでなく、親自身への一定の波及効果もあったのではないか。


*

授業では、津波に対するリアリティーを持ってもらうことを最初の目的にした。祖父母から津波の話を聞いているが、自分の身に降りかかる出来事とは思っていなかったからだ。


過去の津波で犠牲になった4041人という数字、
亡くなった方を遠目に写した白黒の写真など具体的な資料を見せた。さらに、地震発生から逃げる時間が早ければ早いほど死者が減少するというシミュレーション動画を見せるなど視覚的に訴えた。


いろいろ回数を重ねることで、それまで他人事と思っていた子どもたちの目つきが変わり、授業の中身に真剣に耳を傾けるようになった。


子どもたちには、津波の恐ろしさや特徴だけでなく、実際に避難する際の注意点を教えた。


その時にできる最善を尽くせということ。津波は毎回その形を変えて襲ってくる。地震の直後において、どんな津波なのかはわからない。ハザードマップに示された津波より大きいかもしれないし、小さいかもしれない。しかし、どんな津波であっても気にする必要はなく、できることは、その時にでき得る最善の避難をすれば良いということだ。


地図に自宅と通学路を書き入れ、避難場所に印をつけて、自分だけの津波避難場所マップを作成させた。

マップには、地震が起きたらすぐに行動すること、とにかく高いところへ行くこと、津波は川をかけ上がって内陸部の低い場所にも到達するので海から遠いといって安心しないこと、一度高いところに避難したら降りてこないことなどを記した。


どれだけ知識を植えつけても、時間がたてば人間はその記憶を失ってしまう。釜石市の小中学校では年間5時間から十数時間を、津波防災教育に費やした。


最後は、自分で状況を判断し、行動することの大切さを伝えたかった。そうは言っても、子どもたちには不安が残る。
だから、どんな津波が来ても助かる方法があると伝えた。それが逃げること。自分の命に責任を持つこと。


三陸地方には、「津波てんでんこ」という昔話が伝えられている。地震があったら、家族のことさえ気にせず、てんでばらばらに、自分の命を守るために1人ですぐ避難し、一家全滅・共倒れを防げという教訓である。


子どもに対しては「これだけ訓練・準備をしたので、自分は絶対に逃げると親に伝えなさい」と話した。

親に対しては「子どもを信頼して、まずは逃げてほしい」と伝えた。


どれだけハードを整備しても、その想定を超える災害は起きうる。


最後に頼れるのは、一人ひとりが持つ社会対応力であり、それは教育によって高めることができる。私は、今回の震災で命を落とした少女たちの声に耳を傾け、防災教育の広がりに微力を尽くしていきたいと、あらためて思いを強くしている。


** 引用おわり


この片田さんがすげぇということと、

教育って本当に大事なんだっていうのをしみじみ感じました(*ノノ)


**//*****//**


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